Ads by Google
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
--/-- --:-- | スポンサー広告
終わる世界



「世界が違う」という言葉がある。あいつとは住む世界が違うとかそんな感じで使われていると思う。この言葉は非常によくわかる。俺達は同じ空間、三次元で生きているだけなのだ。それは物理的に共有しているだけであって、四次元的、五次元的な違いはそこからは見えてこない。


今日俺は自らひとつの「世界」を終わらした。世界を終わらせることなど簡単に行える。それも言葉一つで。スイッチ一つで核爆発を起こすのは三次元的に終わらせることに過ぎない。俺が今日終わらせたのは、過去の世界と今を切り離したに過ぎない。俺達の生きている三次元ではどうしても時間の流れが存在する。例えば宇宙は十一次元であり、そこには時間という概念はない。(正確にはあるらしいのだが…)


今日俺が終わらせた世界は自分のために終わらせた。この場でカッコつけて誰かのためになどと言っても仕方ないし、しょうがない。自分が前に進むために終わらせたのだ。その行為がよかったとか悪かったとか後悔とか反省とか、もうそんなことはそうでもいいんだ。
前にも書いたかもしれないが、終わらせることにより始まった。始まった世界が少しでも今より少しでも明るい方向に進むといいと思う。


12/26 21:21 | 極東孤独評論社 | CM:0 | TB:0
she can get all she can love all




「終わりがある」と言うことは、とても大切なことなんだと思う。
俺は明日の総括で部活は引退する。今は引退前夜だ。今終わりがあってよかった。とホントにそう思える。あと一年こんなことをやっていたら精神崩壊していたかもしれない。人間不信に陥っていたかも知れない。少々オーバーに言い過ぎたかも知れないがそんな気持ちにさえさせてしまう。幹部と言う立場は非常に辛かった。ここまでやってこれたのも「終わりがある」ことがわかっていたからだと思う。


大げさに言ってしまえば、死ぬことがあるから生きれる。そんな感じだ。
何事もゴールや終着点がある。それに進むことを人は何かしら目標にしている。受験とか就職とか、試合とかね。恋愛だって付き合えるとか、結婚とかも一種の終着点であり終わりだ。失恋だってそう。終わりは始まりの原動力になるのは間違いない。

そして俺は明日ひとつの終わりを迎える。三年間の部活生活から引退と言う形で写真部を去る。大学生活=写真部だった俺は、もう明日からどうすればいいのか全く分からない。

でもまた新しい終わりに向かって始まらなければならないんだ。

12/06 00:38 | 極東孤独評論社 | CM:0 | TB:0
Kanon
雪



季節の中で何が1番好きか?と聞かれたら真っ先に冬と答えるだろう。京都もこの頃は気温も下がり夜間なんかはやっと冬が来たかと思えるほど寒くなっている。色づいていた大学の楓も散り始めている。自分の好きな季節に近づいていることを肌や視覚で感じ取ることができることはとても嬉しい。


冬はいいところが沢山ある。まず雪が降ることだ。俺の実家は雪が積もる地域なので、まだ地元で小学生や中学生や高校生だった頃、下校の通学路で友達と雪合戦しながら帰るのがとても楽しかった。雪が積もった田んぼで行う雪合戦は体が火照ってしまうくらい熱中した気がする。冬だけにしかない雪はとても特別な存在だ。雪が降り出す前のあの夜の静けさや雪おこしがゴロゴロなるのはとてもドキドキした。小さな街を白一面に埋め尽くしていく雪は今でも不思議な存在だ。

雪にともないやっぱり寒いことが冬の魅力なんじゃないだろうか。寒すぎて外に出たくない時も、コタツに入ってみかんでも食べていれば幸せを簡単に味わうことが出来る。夏のクーラーよりも冬のコタツの方が魅力的でしょ?

そしてこれは大学に入ってから気づいたのだが、女の子は冬服がよく似合う。俺が普段よく見るのはやっぱり部員の女の子達なんだが、彼女達はとても冬服が似合う人達なんだ。露出度の高い服より、冬服から覗く指先の方がセクシーさを感じると言うかなんというか…カーディガンから少し出ている指先とか、タイツのラインとか、なんか俺は変態みたいだな…。あとブーツを履けるから嬉しい。最近はブーツに少しはまってて、お金がないから持ってるのはマーチンのブーツだけだけど、履くのがとても楽しみなんだ。

あとコーヒーが1番おいしい季節じゃないかな。
「寒いです。寒いから冬が好きです」
と言いながら後輩の女の子は自販機で買ってあげたカップのホットコーヒーをおいしそうに飲んでた。

これからもっと「冬」になるんだろう。
今年こそ雪の写真を撮るぞ!と意気込んで、でも毎年露出で失敗している。
雪の写真は難しい。でも今年こそは!




11/22 00:37 | 極東孤独評論社 | CM:0 | TB:0
エヴァンゲリオン症候群
綾波レイ


アニメを語る上で切り離せない存在のアニメは多々あると思う。なかでも「新世紀エヴァンゲリオン」は俺の中ではアニメの代名詞的な存在でもある。エヴァが放送されたのは95年だった。俺は小学生の時に再放送で初めてエヴァを見た。当時はなんのこっちゃわからなかった。今となってはもう13年前の作品になるのだけれど、エヴァは今見ても全く色あせることなく、むしろ大人になるにつれてまた違った感情で見れるので面白い。

エヴァの面白さはいろいろと語られていると思う。ストーリーはもちろんのこと、作りこまれた設定、生物学、心理学、宗教とものすごく深い世界であると思う。聖書を読めばさらに面白く見れるらしい。アニメの表現として革新的な方法もエヴァでは使われているらしい。フラッシュのように情景が変わっていくとことか。その後のアニメ業界に影響を与えたとか。エヴァが放送されていた95年は日本にとって激動の年であったのではないかと今考えるのだ。阪神淡路大震災、地下鉄サリン事件、そしてバブル崩壊の大不況など、日本が闇を背負っていた時代だったような気がする。当時小学生の俺はそんなことは全く関係なくのんきに生活していたが、あの頃学生で、リアルタイムでエヴァを見ていたら、言い表せられない感情に駆られていたのではないだろうか。誰もが持っている心の闇や迷い、弱さをリアルに描いたアニメだろう。

そしてエヴァは登場するキャラクターたちがとても魅力的である。例えば綾波レイと言う少女が登場するのだが、たぶんエヴァのなかで最も人気があるのが彼女ではないだろうか。綾波レイは今までのアニメのキャラクターとしては革新的な存在だったらしい。俗に言う「無口キャラ」と言う分野を初めて確立したのが彼女だったみたいだ。

そして、エヴァの少年、少女たちは14歳と言う設定だ。14歳と言う年齢は、子供から大人になる過程の一番初めの段階じゃないかな。まだ純粋さのほうが強く残ってるけど、それでも大人になろうとしている少年、少女たちの心の葛藤がエヴァからは痛いほど伝わってくる。俺が14歳の頃は、部活まみれの毎日だったけど、それでもなんかモヤモヤとしてやり場のない感情があったようにうっすら記憶している。結局何も出来ずに、でもそんな自分が嫌いで。そんな年齢だった気がした。14歳と言う年齢は本当に貴重なのだと思う。「リリィ・シュシュのすべて」も登場人物は14歳だった。あの小説(映画)も14歳の感情を上手く表現している。


なんか偉そうにいろいろ書いたけど、ホントはそんなにエヴァには詳しくないんだ…。ただあのアニメはとても自分自身の心に響いた気がした。何回も見返して見たいアニメじゃないけど、一回見たときの感情は忘れない方がいいなと思った。また、違う時に見たら別の感情を抱くだろうから。


14歳はもう二度と戻れない。それは今も同じかもね。
11/19 16:55 | 極東孤独評論社 | CM:0 | TB:0
template design by takamu
Copyright © 2006 さくら All Rights Reserved
FC2ブログ 冠婚葬祭